コラム
第4回


社会のシステムを考える


実は言うと、ぼくは今の社会のシステムに少々不満を抱いている。資本主義が究極の社会システムなどとは絶対に思えないし、このまま幾世紀も続くとも思われない。今回は少しこの「社会のシステム」について考えてみたいと思う。

ぼくがまだ無邪気だった頃、ぼくは「ゲームデザイナーよりも立派な職業はない」と考え、そして憧れていた。しかし、よく考えてみると、ゲームデザイナーより立派な職業は幾らでもあるし、同じ企画職でもこの「社会のシステムを考える人」の方が、よっぽど大切で重要な仕事であることは間違いない。はっきり言って、この「企画の最高職」とも言えるこの仕事より、大切で意義のある仕事なんてものは、考えられないぐらいである。

突然変なことを聞くが、あなたは今幸せだろうか? ぼくの思うに、資本主義は幸せになれる人が極端に少ないシステムだと思うのである。このシステムの中で幸せになるためには、このシステムがぼくらに要求しているものよりも、より価値のあるものを、ぼくらはぼくらの人生の中で見出さなければならない。ぼくが子供の頃からずっと抱いている思想として、「人生は本来極楽浄土だ」という思いがある。これをあなたは無邪気な子供っぽい意見として笑うだろうか? いや、安心して欲しい。ぼくは今決して幸せではない。

とはいっても、ほとんどの人は今の日本の社会に大きな不満を抱いてはいないかもしれない。いや、もしかしたら、あなたは今もう十分に幸せかもしれない。幸せなら、こんなことはどうでもいいだろう。しかし、世の中には幸せでない人たちがたくさんいるのである。それはこの日本の中だけでも、そうだ。

もちろん、ぼくは今から本気で社会のあるべき姿を、あなたに語りたいと思っているわけではない。これはもう完全にぼくの領分を越えてしまっていることである。しかしながら、やはり企画を志す人間にとっては、この社会のシステムというものは、本当に考えがいのある題材ではあることは間違いない。

ところで、日本の義務教育では、憲法学・法律学・政治学・経済学・思想史などは一切教えていない。ぼくはわけあって、それらの学問をかじったことがあるが、これは一体どういうことなんだろうか? もし、あなたがそれらのものにまったく興味がないとしても当たり前の話である。学んでいないのだから。しかし、学べば、何故これだけ大切なことを、ぼくらは知らされていなかったのか、という事実に愕然とするはずだ。まさしく肝が冷えるとはこのことである。

だが、一体どんな人なら社会のシステムというものを考える「資格」があるのだろうか? ぼくが思うのは、次の3点である。

1.人間の持つあらゆる情熱(正負の感情)に精通していること
2.それらの情熱を促進、あるいは、抑制する術に長けていること
3.そして、実際にそれらを実現できるシステムを構築できること

あなたはもしかしたら、今までの社会のシステムを考えてきた人というと、まったくの堅物で友達になりたくないような人物を想像するかもしれないが、事実はまったく逆である。彼らは恐ろしく、恐ろしく人間的な人たちである。また、そういう人でなければ、社会のシステムなど考えてはいけないのである。

ところで、ぼくの推測では、あなたは今、自分の将来を「成功させたい」と思っているだろう? 資本主義ではこういう風に考えるのが当然のようにできているのである。ぼくは今東京に住んでいるが、地元は地下鉄も高層ビルもない、バスも1時間に2,3本しか通らないような田舎である。で、ぼくはよく思うのである。「果たして、地元で幼馴染の友人たちに囲まれ、好きな女の子と結婚して暮らすような生活よりも幸福な生活を、ぼくは東京に出て来て手にすることができるだろうか?」と。

これは現実的に考えて、ほとんど不可能なことである。そして、大部分の人はこの不可能な夢を追い求めて、生きているのである。問題はこの「成功したい」という思いが、人間が生まれながらにして持っている感情か、それとも、社会によって与えられた感情か、ということである。もっとも、今の社会のシステムがそれを促進させていることは間違いない。ぼくは人間には、生まれながらにして「成功したい」などという感情などない、と考える者である。あなたは「社会の発展のためにはそれは必要だ」と言うかもしれない。だが、よくよく考えてみて欲しい。本当にこんな感情を持つことが、人間の幸せにとって必要だろうか?

もっとも、「他人に重要人物だと思われたい」という願望は、ぼくら全ての人間が持っている感情ではある。だが、それを満たすための手段が、「社会的な成功」という今のシステムに、ぼくは不満を感じるのである。もし、現代が21世紀でなければ、ぼくのような人間は即、打ち首獄門であろう。だが、幸いなことに、今は何を公言しても許される時代である。しかし、やはり何を言おうと、ぼくらは現実に適応しない限り、幸せにはなれないということは、残念ながら事実である。

で、ぼくの考える「理想の社会のシステム」というものを、あなたにお披露目しようと思っていたのだが、バカらしいものなので、やっぱりやめておこう。いや、本当につまらないものである。風呂場を公共にするとか、毎晩ダンスを踊るとか、そんなものである。だが実際、ぼくらはこの人生において、本当は一体何を求めているのだろうか? ぼくらは成功したいと思っている。金持ちや有名人になりたいと思っている。しかし、ぼくらはその果てに、一体何を手に入れたいのか、もしくは手に入れたかったのか、それをもう一度考えてみる必要があるとは言えるだろう。



2003年11月3日



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