コラム
第5回


MSXの思い出


ぼくは実はいうと、MSX世代の最後の生き残りである。ぼくは現在26だが、多分ぼくより年下でMSXに触ったことのある人はほとんどいないと思う。というのも、ぼくがMSXを手に入れてから、その文化は急速に廃れていったからだ。

MSXとは何かというと、8BIT機のPCのことである。後に、MS−DOSも搭載した16BIT機のMSXtarboRという機種も発売されたが、これはもうまったくMSXの需要がなくなった頃の話であり、ほとんどMSXというPCへの愛情から作られたものだと言っても差し支えない。それくらい、このPCは多くのユーザーから愛されていた。OSもなく、CPUも8BITしかないこのシンプルなPCが、何故ここまで多くの人たちに愛されるまでに至ったのか、その理由は実はぼくにもよく分からない。だが、販売個数だけでいうと、なんと国内ならファミコンと同等の成績を残している。それもまだ、PCユーザーが一般の人々から様々な偏見を抱かれていた時代の話である。ぼくも別に一人一人確認しているわけではないが、20代後半以上のゲーム業界人なら、かなり多くの人がこのMSXの洗礼を受けているのではないか、と思う。

MSXが他のPCと違うところは、手軽にプログラムが組めるということであった(また、値段も安かった)。MSXを立ち上げて、ちょっとした命令語を入力すると、すぐにディスプレイ上にその結果を表示してくれる。現在のOSのようになんら裏で処理をほどこしているという感じがしない。そしてその感覚は、あたかも人と対話している感覚にも似ていた。そう、MSXはまぎれもなく、ぼくらユーザーにとっては「友達」だったのである。MSXに目玉や口をつけてキャラクタ化したものが、当時の雑誌の表紙をよく飾っていたものだが、こういった風に愛されるPCなど、もうおそらくMSXが最初で最後のPCではないかと思う。

ぼくがMSXを手に入れたのは、中学1年生のときだった。1991年の話である。その頃はまだ、本屋のPCコーナーというとMSX関連の書籍が約半分のスペースを占めていた。他にはPC98やX68000関連の書籍、それにプログラム関連の解説書などが並んでいたように記憶している。だが、そちらのスペースは中学1年生のぼくにとっては、なにやら小難しい本ばかりが並んでいる、つまらないスペースに過ぎなかった。しかし、その次の年からはMSX関連の書籍は、1年ごとに半分のスペースに縮小していった。中でも一番続いた雑誌が、当時のMSXユーザーにとってのバイブルでもあった「MSXFAN」という雑誌である。これはぼくが高校3年生のときまで続いた。最後の1年間などは、おそらうもうずっと赤字だったに違いない。それでも、この雑誌は最後までそのエネルギーを失わず、皆に惜しまれながら本当にギリギリまで続けられた。そして、この雑誌は実は今でもまだ「休刊」なのである。これほど読者に愛され、また読者と編集者が一体となって創られた雑誌を、ぼくは未だかつて見たことがない。あの頃の時代がもっていた前向きな明るさ、希望、そしてぬくもりといったものは、一体現代ではどこへ行ってしまったのか? ぼくは決して懐古趣味には走るつもりはないが、バブル時代に発行された雑誌などを、もしあなたが古本屋で見かけたら是非、手にとってよく見て欲しい。その健全な優しさ、純粋さに、きっとあなたの胸も打たれるはずだ。

MSXを手に入れた初めの頃は、やはりぼくも幾つかのMSX専用のゲームソフトを買ったりしていた。が、当時はもうスーパーファミコンが登場して、PCゲームとコンシューマーゲームの立場が逆転し始める時期にあったので、すぐに買うをやめてしまった。だが、その頃プレイした「SDスナッチャー」というRPGは、ぼくが今までプレイしたRPGの中でも、最も心を揺さぶられたものである。このゲームの監督は、あの小島秀雄氏である。今ではもっとも有名なゲームクリエイターの一人である氏も、この頃はまだ一部のゲーマーだけに熱狂的なファンを持つかなりカルトな人だった。「メタルギアソリッド」も、元はというとMSXの名作ゲームソフトである。当時のぼくは、「ボディ・スナッチャー」や「ブレードランナー」といった映画を知らなかったので、「SDスナッチャー」の中で描かれる事件や発想の全てが、恐ろしいほどの衝撃だった。

「MSXFAN」には毎月、読者から投稿された十数本のゲームのプレビューと、そのプログラムが掲載されていた。ぼくはMSXのゲームソフトを買うのを辞めてから、毎月その中から面白そうなものを数本選んで、自分でプログラムを打ち込んでは遊んでいた。プログラムの中身はまったく理解できなかった。最後まで打ち込んでも、毎回どうしてもエラーが出てしまい、ほんの1文字か2文字の打ち間違いで動かないこともしょっちゅうだった。しかし、今から思えば信じられないぐらいの根気と根性であるが、ぼくは自分が打ち込んだプログラムは、とにもかくにも遊べるようになるまで作り上げた。

そうこうしている内に、多少BASICの文法が分かりだした。初心者用の本を一冊買って勉強もしてみた。PRINTとLOCATE、そして、INPUTとIF〜THEN文という、たった4つの命令語の意味が分かってからは、もうこれだけでテキスト形式のアドベンチャーゲームなら創れた。自分でプログラムが組めるようになってからは、途端に他人のプログラムも分かるようになった。そうして、それから高校2年生まで、ぼくはずっとゲームのプログラミングに夢中になったのである。

こうした時期は、今思い返しても本当に純粋に楽しかった。もちろん、ゲームもよくやった。周りの友達も皆ゲーム好きだったので、毎晩遅くまで学校に残ってはプレイしていたものだ。バスの時刻に遅れるので一人早く帰ったときも、どうしても友達に負けた悔しさが忘れられず、歩いて20分もかかるバス停の前から、わざわざ引き返してきたこともある。

こうした思い出は、このサイトを見ているあなたにもきっとあるだろう。だが、大人になるにつれて、ぼくらはもうそういった思い出を何故か作れなくなる。また、これはつい先日友人から聞いた言葉なのだが、「あの頃の自分は青春を浪費していたとしか思えない」とさえ言うようになる。ほとんどの人は大人になったらこう言う。大人たちは自分にとって為になることにしか価値を見出さないのだ。だが、ぼくらはたしかに楽しかった。そして、たとえそれらの経験が自分にとって無意味だったとしても、いや、無意味だからこそ、その限りない無償性の中に、青春の美しさはあるのだ、とぼくは言いたい。

最近のゲームは、どれも皆非常によく出来ているように見える。いや、実際よく出来ているとは思う。しかし、MSXでぼくが自分で打ち込んだ稚拙なゲームたちよりも、劣っている何かがあるのも、また確かなことである。料理にばかり喩えて申し訳ないが、現在のゲームが高級料理だとすると、MSXのゲームは田舎で売っているおにぎりやコロッケのような、素朴であったかい味がするのである。そして、ぼくが創りたいゲームも、そういう「素朴」なゲームである。



2003年12月1日



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