美しく燃え尽きよ
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今週のゲームNO.7



エースコンバット04
シャッタードスカイ

  ジャンル:フライトシューティング
  開発・販売:ナムコ
  発売日:2002年11月7日







「エースコンバット04」は、「プレステソフト批評」におけるユーザー評価でも、かなりの高得点をたたき出している名作ソフトである。プレイしてみた感想からいえば、これはもうフライトシューティングゲームにおけるGTだといっても過言ではないぐらい、あらゆる面から見てハイクオリティな仕上がりになっている。実際、かなり面白い。しかし、ぼくが最初興味を引かれたのは、実はゲーム部分ではなかった。これは後に語るが、「インタらネット」というHPで、茂内克彦氏という人が書いている、「ビデオゲームにおけるメディア特性」の中で取り上げられている分析を読んで、興味を惹かれたのである。今回の批評は一部、茂内克彦氏が言っている内容とかなり被ってしまうところがあると思う。これは先に言っておかなければならない。

 東京では中古ソフトは、よく売れているソフトほど安い。ゆえに、東京に来てからは良質ゲームをかなり安い値段で手に入れられるようになったので嬉しい。「エースコンバット04」も中古で2500円である。ゲーム業界は実は言うと、そんなに給料がいいわけではない。特にぼくもまだ見習いなので、貧乏人にとっては、こういう中古ソフトの現状は非常にありがたいことである。

 ゲームの世界観には大きく分けて、「ファンタジーゾーン」のような純粋なファンタジーと、「探偵神宮寺三郎」のような現実世界そのままという2つの方向性がある。本作はファンタジーの要素も幾分か混じっているが、ほぼ現実世界そのままの世界観といっても良いだろう。そして、現実世界に近い世界観のゲームを作るクリエイターで、大きな成功を収めている人たちは、おそらく、そのゲームのモチーフとしたものを、本当に愛しているのだと思う(例えば、GTのプロデューサーである山内一典氏は、実際に国際A級ライセンスを持っている)。そして、彼らのそのモチーフへの愛が、作品のクオリティやゲームとしてのあらゆる判断に役立っているのだろう。

 本作もそういう意味では、航空機へのかなりの「愛」を感じることができる。航空機のサウンドを聞いただけで、ぼくなどは軽い耳鳴りを起こしてしまうほどであった。今後のゲーム業界はもしかしたら、本作やGTのようにゲーム以外のことに大きな興味をもっている人が、もっと活躍してゆくのかもしれない。


美しいゲーム

本作は一言でいえば、美しいゲームである。「美しいゲーム」というのは、ぼくにとっては、かなり色んな意味をもった深い言葉なのであるが、本作も色んな意味で美しいゲームである。では、まず本作をプレイして、ぼくが「美しい」と感じた部分を一つ一つ点検してゆこう。

 本作が他の一般的なゲームと比べて一番美しいのは、インターフェイスである。色彩、画面のメニュー配置、操作性、ロード時間、効果音、そういった全ての要素が、限りなく洗練されている。ゲーム上舞台が海の上になることが多いのであるが、海の青さと空の青さだけで、もう吸い込まれそうになってしまうし、海と空の青さに対比して、メニュー画面などは白、緑、ピンクなどで統一されているが、この組み合わせにも非常に心地よい安定感がある(ぼくは特に色彩を学んでいる人間ではないが、そう感じるのだ)。画面上の様々なメニュー類の配置についても、必要な情報がすんなりと目に飛び込んでくる。位置といい、大きさといい、なんの文句もでない。

 メニュー画面におけるレスポンスも非常にいいし、ロード時間が驚くほど短いのも、ゲームを小気味よくプレイさせてくれる。全体的にいって、本作のプログラミングは非常に高いクオリティで安定してまとまっている。処理落ちやポリゴン落ちといったものは、プレイしている最中一度も見たことがないし、「おや」と思うようなキャラクタの動きというものも一度も見たことがない。プログラマには処理落ちを認めるタイプと認めないタイプがいるという。処理落ちを認めるタイプのプログラマの主張では、特定の場合における処理落ちを認めないと、普段のクオリティが下がってしまうということであるが、やはり本作のようにまったく処理落ちを感じさせない作りの方が、ゲームのクオリティという面では一段上のような気がする。

 また、細かい演出だが、文字が表示されるとき、左から一文字ずつ文字が流れ、それに少し遅れて、一文字ずつ蛍光色に発光してゆくメニュー画面とか、テレビ画面に映し出したPCモニターのような幕が流れる演出とか、一世代前のハードなら何の処理もほどこさない部分にもきちんと何らかの演出が加えられており、それだけで「PS2のソフト」というクオリティを感じさせてくれる。

 もちろん、グラフィック、BGM、ゲームシステム、ボタン配置、敵の種類や、ストーリーなども、あらゆる意味において非常にクオリティが高く、しかも、全て美しい出来栄えなのであるが、それらの要素が互いに少しも自己主張をしておらず、まさに一体となって「エースコンバット」という一本のゲームの中に集約されている様が、もっとも美しい。ぼくは正直いって、このゲームでナムコという会社を見直してしまった。


嘗てないストーリーテリング

さて、今回の批評の目玉である、本作における斬新なストーリーテリングの手法について、これから語りたいと思う。本作は、二つの国が戦争を起こしている状態から始まり、主人公は一国のとある部隊のパイロットとなって、この戦争に参加することになる。最初は見習いの状態から始まるのだが、幾つかミッションをこなしてゆくうちに、味方側からも敵側からも段々と主人公の存在が注目されてゆくようになる。ゲームの後半からは敵側から「リボン」と呼ばれ、恐れられるほどの存在になるのだ。

 本作の主人公にはグラフィックというものがなく、また主人公のセリフも一切存在しない。主人公という存在自体が存在しないゲームといえるかもしれない。主人公の存在が消え去ることによって、まさしくプレイヤーそのものが主人公となる。ゲームの中でドラマが起こっているのではなく、プレイヤーとゲームとの間にドラマが起こっているのである。

 主人公には無線機によって、味方側からの情報や声援、注意といったものが与えられる。見事敵機を破壊した場合には、味方の一人が「イヤッホー!」と歓声を挙げたりする。また、実際にはあり得ないことではあるが、味方の無線だけではなく、敵側の無線の内容もプレイヤーは聞くことができる。これによって、ガンダムのような戦闘中の敵との会話が実現されているのだが、それだけではなくて、これにはもっと大きな意味合いもある。

 その前に、ミッションごとの合間にときたま挟まれる、サイドストーリーについての説明を加えておかなければならない。このサイドストーリーがうまいのである。本作ではプレイヤーの分身である主人公が存在しないので、サイドストーリーの主人公はプレイヤー自身ではない。では、一体誰が主人公なのかというと、なんとプレイヤーとはまったく関係のない一人の少年が、このサイドストーリーの主人公なのである。

 この少年の住んでいる町は、実は敵側に占領されており、「黄色の13」というパイロットに破壊された戦闘機が生家に墜落したおかげで、この少年は家族を失ってしまう。それから、少年はとある酒場で、兵士相手にハーモニカを吹いて生計を稼ぐことになるのであるが、ここで少年は自分の両親を間接にだが奪った、「黄色の13」と呼ばれている男を発見するのである。だが、黄色の13は少年の考えていたような残酷な男ではなかった。むしろ、無口だが仲間達から慕われる敵側のエースパイロットだったのである。少年は黄色の13率いる黄色中隊と接しているうちに、彼らの中に失くしてしまった家族の温かみを見出すことになる。

 サイドストーリーにおける少年の視点を通して、プレイヤーは自らの敵側の事情や彼らの陽気で勇敢な性格などを知ることになる。つまり、本作における「敵」というのは、これっぽちも悪意ある存在ではない。プレイヤーはたしかに、ミッションでは実際に彼らや黄色の13とも戦うことになるのであるが、サイドストーリーを観ることによって、プレイヤーは敵機を破壊するということに、自らの正当性を何ら発見できなくなってしまう。

 本作におけるこの手法は、はっきり言って、ぼくはストーリーテリングの手法上における新たな革命ではないかと思う(しかも、ゲームでしかできない類の)。戦争の悲惨さや無情さを描いている映画や小説というものはたくさんあるが、ぼくは今までそれらのストーリーを読んでも、「人間って愚かだな」とか「なんで戦争なんかするんだ」ぐらいにしか思えなかった。だが、本作では敵機を破壊したくないと思っても、ぼくらはやはり破壊せざるを得ない。そうしないと、味方が殺されてしまうからだ。これほど戦争の無情さ、どうしようもなさ、戦争を起こす人間が悪いのであって、参加している人間には何の罪もないという事実を、ぼくらに肌で感じさせてくれた作品というものは嘗てなかったのではないだろうか?

 と、ここまでは茂内克彦氏の言っている内容と変わらないのであるが、本作ではもちろんプレイヤーが気持ちよくゲームをプレイできるように、ストーリー上にも様々な心配りがほどこされている。例えば、敵機を破壊したとしても、決して破壊された機体のパイロットは悲鳴を挙げたりはしない。本作は本当に戦争批判を表現したければ、プレイヤーが「もうやめてくれ」と懇願するほどの語り方もできた。だが、本作で主に描いているのは、実は戦争批判ではなくて、戦争という苦難にも負けず、そして、自らが打ち落とされようが決して文句を言ったりはしない、パイロットたちの陽気で強靭な精神なのである。一言でいえば、本作は人間の愚かで暗い部分を批判しようとしているのではなく、人間の強く崇高な部分に光を当てているのだ。


戦略マップとロックオン

本作のゲームとしての売りは「ドッグファイト」にあると思うが、ぼくはもちろん戦闘機に乗ったこともなければ、ましてや戦闘機を操って敵機やターゲットを破壊したという経験もない。また、悪いことに、航空機に関する知識もまったくない。したがって、本作のどの部分がゲーム的で、どの部分がシミュレート的かなのか、はっきりと判別できないのではあるが、本作と他のいくつかの3Dアクションゲームに共通しているシステムが、この「戦略マップ」と「ロックオン」である。

 「戦略マップ」がもっとも有効に使われているゲームは、ぼくの知っている限りでは、「真・三国無双」シリーズである。だだっぴろいマップ上に多数の敵キャラクタが存在しており、自分以外の多くの味方も同時に多数の敵と戦っている。そして、味方が窮地に立たされている区域に自分がすかさず移動して、敵をばったばったとなぎ倒す。そして、自軍の方が優勢になると、残りの後片付けは味方に任せておいて、自分は再び違う戦場へと向かう。つまり、自分の力によって戦況を変えてゆく面白さがあるのである。

 一世代前のハードでは、その能力上あまり多数のキャラクタは登場させることができなかったので、この戦略マップによって味わえる面白さは、PS2が登場してから、初めてゲームにもたらされたものだと言えるかもしれない。コナミが発売している「アヌビス ゾーン・オブ・ジ・エンダーズ」というゲームでも、多数の敵と味方が入り乱れて戦うシーンがあるが、そのシーンにおいてもやはり戦略マップというシステムが効果的に使われている。しかし、それ以外のミッションにおいては戦略マップは、単にマップやターゲットを確認するための「地図」に過ぎない。戦略マップの面白さは、多数の敵と味方、そして、だだっぴろいマップが存在して初めてもたらされるのである。

 本作のもう一つのゲーム的な部分は、「ロックオン」である。本作は完全な3D空間での空中戦を実現しているが、敵の戦闘機ももちろん空中を飛び回っているので、単なる直線的な弾丸では倒すのが難しい。ロックオンするためには、画面中央の四角い枠の中に、敵の戦闘機をある一定時間留めておかなければならないのであるが、そのためにはある程度自分の戦闘機を自由に操る腕が必要とされるし、また、敵もロックオンされると急旋回などをして、ロックオンミサイルを振り切ろうとする。

 そのロックオンするタイミングの面白さも絶妙であるが、もっとうまいのは、ロックオンミサイルの弾数がミッションをクリアするギリギリの弾数の設定されており、あまり無駄使いができないということだ。もし弾数が切れてしまった場合には、一度戦線を離脱してミサイルを補給しなければならないのであるが、そうすると大幅に時間をロスしてしまう。つまり、ロックオンするタイミングを見極める瞬間において、相手に自分のミサイルが当たるかどうかということも、十分考慮に入れておかなければならない。ゆえに、相手に確実にミサイルがヒットしたときには、より一層ぼくらは達成感を感じることができる。

 そして、この「戦略マップ」と「ロックオン」という、3Dゲームにおける二つの優れたゲームシステムも、本作の場合、「戦闘機」という題材のおかげで完全にゲームの中に溶け込んでいる。このあたりのゲームデザインも、ぼくが本作を美しいゲームだと感じるゆえんである。


最小と最大

前述したように、本作の最大の面白さは「ドッグファイト」にあると思うのだが、これをゲーム的に解析するのは少し難しい。なぜなら、おそらく「ドッグファイト」というものは実際に経験してもかなり面白いものに違いなく、本作がその面白さをシミュレートする際において、ゲーム的な工夫を幾つか凝らしているにしても、やはりその本質的な面白さは、ドッグファイトそのものの中にあるに違いないからだ。

 ぼくが本作を通して体験したドッグファイトの面白さというのは、最大から最小へ、そして最小から最大へ移り変わる面白さだと思う。本作はL1ボタン、R1ボタンを押すことによって、自機を減速したり、加速したりできるのだが、空中を縦横無尽に飛び回る面白さというものは、この激しい速度の緩急からまず生まれている。

 また、敵機と戦闘する際においても、敵機をロックオンして追い詰めたかと思うと、うまくミサイルを避けられ、逆に、自分がロックオンされてすぐに敵機に追い詰められる、という立場の変換が目ぐるましく行われる。地上物のターゲットを破壊する際にも、ギリギリまで地上に接近しなければならないのだが、空中から急降下した際に地面にぶつからないようにするためには、地面にぶつかる直前に速度を落とし、地面から上昇する場合には速度を急激に加速させなければならない。そういう場面では、思わず身体ごとのけぞってしまう。それほど、ゲームの世界にのめり込んでしまうのであるが、これもまた、無限に広がる空と海との対比があってこそなのだと思う。

 サンテグジュペリの「夜間飛行」という小説の中でも、恋人や自分の命よりも、「空を飛ぶことへの魅力」に取り憑かれている飛行気乗りたちの気質が描かれている。当時の長距離飛行は危険を極め、一度空に飛び立てば2割方の確率で命を失ったという。それでも、空を飛ぶことを辞めなかった飛行機乗りたちは、一体空を飛ぶことにどんな魅力を見出していたのか? ぼくらには想像することさえ難しい。ただこの事実は、この世には死への恐怖すらも払拭するほど、人を虜にする「何か」が存在するのだということを、ぼくらに示している。



2003年12月22日



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