美しく燃え尽きよ
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今週のゲームNO.3

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 ソニックザヘッジホッグ

 ジャンル:アクション
 開発・販売:SEGA
 発売日 1991年7月26日


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「なんで今頃ソニック?」と思われるかもしれないが、実はいうと、ぼくはずっと「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」をまともにプレイしたことがなかった。もちろんブームのとき、友人がプレイしているところを見て、その斬新さに驚いた記憶などはあるが、自分で買ってプレイしたことはなかったのである。だが、プランナーとしてこれではいけないだろうと思い、数ヶ月前「ソニック・メガコレクション」を購入し、一通りシリーズを遊んでみたのだが、改めてその出来の素晴らしさに驚いた。これは非常によく考えられたゲームである。そしてまた、非常に批評しがいのあるゲームでもある。


アンチヒーロー

 ソニックは明らかにアンチヒーローである。いや、ストーリー上は決してアンチヒーローではないのだが、そのとんがった容姿、ふてぶてしい目つき、そして、全体の雰囲気から感じられる正義感などは、アンチヒーロー以外の何ものでもない。ちなみに、「ヘッジホッグ」とは「ハリネズミ」という意味である。一般に、こうした嫌われ者の動物と人間の容姿をかけ合せたヒーローというものは、意外なほどぼくらの身の回りに溢れている。仮面ライダーしかり、バットマンしかり、スパイダーマンしかり。嫌われ者の動物が、人間とかけ合わさった時、彼が自然とアンチヒーローになるのは分かるだろう。しかし、なぜアンチヒーローというものは、こんなにもぼくらの心を掴むのだろうか?

 人間の心というものは本当に不思議なもので、現実生活では、良いことをして正当な評価を受けている人間の方が人気があるが、物語の中などでは彼らは常に脇役であり、逆に周りの人達からさげすまれてはいるが、心の中は潔癖で、誰にも知られずに密かに困難に立ち向かう人間の方が、遥かに人々から愛される。

 これはもちろん、ぼくらが彼らに自分自身を重ねていることもあるが、ぼくの思うに、カッコよさとはその華々しい行いの中にあるのではなく、辛く苦しい困難に耐え忍んでいるとき、そして、それをはね返す心の強さを示したときに、もっとも現れるものである。ソニックをぼくらがカッコイイと思うのは、彼が受けているであろう様々な困難と、彼のふてぶてしい目つきから、それらに屈服しない彼の精神を感じるからに他ならない。

 もっともキャラクターの魅力の秘密というものは、もっと深いものに相違ない。ソニックは子供でも描けるような簡単なフォルムをしているが、実際、彼を生み出した人間の工夫には、もっと計り知れないものがあると思う。だが、ご存知の通り、その甲斐あって、ソニックはこのゲーム以後、セガのイメージキャラクタとして抜擢された。批評家っぽい言い回しをすれば、ソニックの持つアンチとは、つまり、それまでのセガが世間に対して放っていたアンチそのものであり、また、「スーパーマリオブラザーズ」という絶対的なアクションゲームに対するアンチでもある。

 事実、ソニックはマリオとは全く逆に、ゲームの中でぼくらに様々な表情を見せてくれる。かつて、これほど強い自己主張を持つアクションゲームの主人公というものは存在しなかった。動く板の端に来れば「おっとっと」ときわどいアクションを見せ、なにも操作しなければ、あくびをあげる。ステージをクリアすれば、決めポーズを取り、ぼくらににっこりと笑いかける。ソニックは何者にも媚びない。ぼくらに対してさえも。このゲームの主人公はあくまでソニックであり、ぼくら自身ではない。ぼくらはソニックの相棒なのである。


コンセプトは「スピード感」

 「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」のコンセプトは、ずばり「スピード感」であろう。これ以外のコンセプトならちょっと驚きだが、多分間違いないと思う。十字キーを左右に入れっぱなしにしておくと、ソニックはどんどんと加速してゆく。十字キーの下を押して球状になれば、さらにこれでもかと加速度が増す。回転ループなどもあり、まるでジェットコースターのようだ。ぼくらはソニックと共に、そのスピード感を体感する。

 この「スピード感」をゲーム性に取り込むために、一番工夫されている点は、見逃しがちだが、攻撃方法が「体当たり」だということである。飛び道具を使うアクションゲームも多いが、飛び道具の場合は一旦相手に狙いを定めなければならないし、剣などの場合も、振りかざすという必要上、やはり立ち止まらなければならない。自然に人の心を納得させるためには、「体当たり」が最も妥当だったのである。そして、この攻撃方法は「ハリネズミ」というキャラクターにぴったりとマッチしており、何より、「キャラクタとの一体感」を十分に感じさせてくれるものである。

 また、ステージのところどころに配置されているコインを連続で獲得してゆくことも、その快感をさらに倍増させる。コインは100枚集めると1UPし、50枚集めるとボーナスステージへの入り口が出現するようになるのだが、敵に当たるとすべて失ってしまう。つまり、ライフゲージの役割も担っているのだ。特筆すべきは、ソニックが敵に当たった瞬間、それまで持っていたコインが全てばら撒かれてしまうエフェクトが入ることである。これは単に食らいモーションになるだけよりも、遥かにプレイヤーを残念な気持ちにさせるし、また、「拾わなきゃ」というあせりも生じさせる見事な演出である。

 深読みし過ぎかもしれないが、ぼくの思うに、スピード感によって得られる快感とは、ソニックが彼の人生において求めている快感そのものである。何者にも邪魔されなければ、何者にも媚びなければ、本来得られるであろう快感が、スピード感の果てにある、と彼はそう信じている。だからこそ、邪魔するやつが憎らしい。自分の持つ果てしないエネルギーを押さえ込む存在が。この気持ちは、ぼくらにも十分共感できるものである。ソニックはぼくらに代わって、そのエネルギーを解放させてくれる。そして、そういった快感が人生にもあることを教えてくれる。


ピンボールと自動アクション

 「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の持つ大きな特徴として、「自動アクション」と言えるものがある。これはある一定のアクションを、ごく短い間、ぼくらプレイヤーはただ眺めているだけで、一切キャラクタを操作できないアクションのことである(ちなみに「自動アクション」という言葉は、ぼくの造語である)。

 この自動アクションは、実はどんなアクションゲームにも存在するものである。たとえば「剣を振る」というアクションも、剣を振っている間は、ぼくらはキャラクタを操作できない。だが、本作はそれとは別の意味での「自動アクション」というものが存在する。たとえば、連続してループを回転している間や、何か筒のようなものの中に入って移動している間などが、そうである。これはたっぷり数秒間続く場合もある。ぼくの実感では、このゲームは実はプレイしている時間の約5分の1ぐらいは、この「自動アクション」で占められている気がするのである。

 俗に「見せられてるゲーム」という言葉があるが、本作で使われているこの自動アクションという効果は、無論そういったゲームとはまったく次元の異なるものである。「ピンボール」というゲームはあなたもご存知だろう。ピンボールにおいても、ぼくらが操作するのは、画面下部に設置されている二つの跳ね台だけで、ボールが下に落ちてくるまで、ぼくらはハラハラしながら、じっとボールの動きを見守り続けることになる。

 本作における自動アクションの効果も、実はこのピンボールと同じ類のものであり、実際、ソニック自身がピンボールの玉ように壁に当たってはめぐるましく反射するシーンも、ところどころに存在する。見事なのは、この自動アクションという一種の演出が、このゲームのコンセプトである「スピード感」と見事にかみ合っているという点である。ぼくらはもう、自分がアクションを起こしているのか、演出を見ているのか見分けがつかない。しかも、それらが交互にめぐるましく変わるので、後に残るのはただ爽快感だけということになる。

 他にも、大きな筒の中をぐるぐると回転しながら上に登ってゆき、ソニックが上空に飛び出した瞬間、下の空間が壁によってガシャンと閉まり、空中で一回転してスタッと着地する、というような演出もあるが、これもまことにカッコイイ。まるでアクション映画を観ているかのような一種の感動がある。「自動アクションのカッコよさ」は、ぼくがソニックから学んだ最も大きな要素の一つであり、実際「マリオ」を創った宮本茂にも、その後のゲームにおいて多少影響を与えているとも思う。


多彩なギミック

 ソニックは本当に多くの工夫が凝らされたゲームである。ここまで書いても、まだ書くべきことがたくさんあるからだ。しかし、ぼくも疲れてきたので、最後にその多彩なギミックについてだけ、簡単に触れておくことにしよう。

 ソニックのステージは、他のアクションゲームに比べて非常に広大であるが、基本的に敵を必要以上に倒す必要はない。倒さなければならないのは、ステージやセッションの最後にいるボスだけである。プレイヤーはなるべくスピード感を楽しみたいので、スムーズに進めるルートを探そうとする。ここで探索の楽しみが生まれる。スタートからゴールまでの道のりが一本道ではないのである。

 しかも、広大なステージのあらゆる場所に、アイテムや隠し通路、それからボーナスステージなどが用意されているので、単にスピード感だけを楽しまなくても、探索するだけでも十分に楽しめる。かつ、あらゆる場所に、凝ったギミックが多数用意されているので、頭を使うこともしばしばだ。驚くのはステージが変わるごとに、ガラリとその特徴が変わることである。たとえば、湖に沈んだ神殿、都会のカジノ、アラビアの砂漠から、近未来の工場都市まで、ありとあらゆる場所をソニックは駆け回る。滑稽無糖のように思われるかもしれないが、ステージをクリアする度に、ぼくらは次のステージへの期待を膨らませずにはいられない。なぜなら、次のステージがまたまったく異なったものになるということは分かっているからである。

 もっとも上に挙げたもののほとんどは、「マリオ」を研究した結果、取り入れた要素だとは思うのだが、本作の場合は、それらの要素をさらにもっと大胆に突き詰めた。特に、ステージに用意されている多数のギミックは、そのステージの特徴に合わせたものではあるが、ひたすら多彩であり、奇抜である。その圧倒的な質と量を見ているだけでも、ぼくらは楽しめる。最近のアクションゲームに、人がプレイしているのを見ているだけで楽しめるものが、一体どれだけあるだろうか?



2003年11月10日



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